- Google DeepMindがエージェント開発環境 Google Antigravity 向けに化学情報学スキル群「Cheminformatics Skills」を公開した
- LLMがワークフロー制御とデータベース探索、RDKit などの決定論的ツールが分子計算を担う役割分担を採用している
- 肺がん治療薬を題材に、568化合物のキュレーションから新規マクロサイクル設計までを約1時間で実施した事例が示された
公開された内容
Google DeepMind は2026年11月3日、同社のエージェント開発環境 Google Antigravity 向けに「Cheminformatics Skills」を公開しました。化学情報学(ケモインフォマティクス)の定型作業をAIエージェントに任せるためのスキル群で、Antigravity アプリに Science プラグインを追加して利用します。
基盤にはオープンソースの化学情報学ライブラリ RDKit を据え、化合物データベースの ChEMBL と PubChem へのコネクタを備えます。文献や特許からの化合物抽出、データ整理、マッチドモレキュラーペア解析(MMPA)、機械学習モデルの構築、反応の操作と検証、電子対の動きを示す矢印図の生成、類似反応の検索、インタラクティブな可視化とエクスポートが対象です。
機械学習モデルを作る際の分割方法の選び方といったドメインのベストプラクティスも、エージェントのワークフローに組み込まれています。計算化学の専門家だけでなく、実験化学者が使うことも想定した設計です。
LLMと計算ツールの分担
設計の軸になっているのは役割分担です。LLM はワークフローの統括、データベースの探索、科学的な推論を担当し、分子の計算そのものは RDKit などの決定論的ツールに委ねます。
化学では、分子の表し方が IUPAC 名、Markush 構造、SDF などと分かれており、1つの原子や結合を取り違えるだけで別の化合物になってしまいます。確率的に文字列を生成するモデルに構造式の計算まで任せると誤りが入り込むため、計算部分を既存のツールへ切り出す構成が採られています。

図1のように、LLM が外部データベースと決定論的ツールの双方を呼び出し、その結果を受けて次の手を決める往復構造になっています。AIエージェントが研究プロセスそのものを回す試みとしては、AI研究エージェントが自律的に新しい Attention 機構を発見した CFDN の事例も報告されています。
肺がん治療薬での実証
DeepMind は実在の肺がん治療薬を題材に一連の作業を試しています。対象はチロシンキナーゼ阻害薬(TKI)で、第1世代の crizotinib と第3世代の lorlatinib の比較が出発点です。
lorlatinib は分子の末端を環化することで回転可能結合をほぼなくしており、結合時に失われるエントロピーの代償を先払いする「剛直化」の典型例とされます。
化合物 | 世代 | 主要な回転可能結合 |
|---|---|---|
crizotinib | 第1世代 | 5 |
lorlatinib | 第3世代 | 実質0 |
エージェントは文献から数分で数千の化合物を取得し、緩衝液や溶媒といった無関係な分子を除外して出典付きのレポートを作成しました。最終的にダッシュボードに残ったのは568化合物です。初期分析では、マクロサイクル(大環状化合物)の多くが脳に移行しやすいと予測されました。肺がんは脳へ転移しやすいため、この性質は重要な指標になります。
続く MMPA では、環化の有無だけが異なる化合物のペアを比較し、環化によって回転可能結合が減り効力が上がる傾向を確認しました。機械学習では複数の特徴量とアーキテクチャを比べ、4種類の実験読み出しに対してスキャフォールド分割で未知領域への汎化性能を評価しています。時系列情報がある場合は、古い化合物で学習して新しい化合物を予測する時系列分割を優先する方針です。
約1時間で設計案を提示
これらの分析を踏まえ、エージェントは改良版のマクロサイクルを提案しました。複数の反応と合成経路、官能基化された前駆体、環化反応を示し、医薬化学的な根拠と学習済みモデルによる効力予測を添えています。公開された図では、前駆体 LOR-PRE-3 から12員環の環状エーテル LOR-DES-3 を得る分子内反応の機構が示されました。
通常はデータ収集からモデル構築、分子提案までに数日を要する工程を、約1時間で通した計算になります。設計案はそのまま AlphaFold や分子動力学シミュレーションによる追加解析に回せます。
ただし DeepMind 自身が限界を明記しています。データが疎であること、研究室ごとのアッセイのばらつき、狭いダイナミックレンジにより予測精度には限りがあり、計算による設計は検証すべき仮説であって完成した薬ではないという位置づけです。合成と実験による裏取りは人間の科学者が担います。
利用方法と無償枠
試用の手順と提供条件は次のとおりです。
- Antigravity アプリを入手し、Science プラグインをインストールする
- Enterprise 利用者は「Use Business Account」から Google Cloud の認証情報でログインする
- 分析結果は業界標準の化学ソフトウェアに読み込める形式でエクスポートできる
- 科学者1万人に対し、Google Antigravity の最上位ティアを6か月間無償で提供する
- 無償枠は申請フォーム経由の順次受付で、対象資格とキャパシティ、選考により決まる
創薬の実務では、データの前処理や文献からの化合物抽出に時間が割かれがちです。その部分をエージェントに任せ、仮説の筋を決める判断と実験検証に人手を回す構図が、今回の事例で具体的に提示されたと言えます。